2003年4月21日 入籍から約9ヶ月。結婚式&パーティー
結婚には、今の考え方に繋がる自分の強い思いがありました。そして、私にはどうしても、この結婚式が必要でした。お詫び、お礼、ざんげ、けじめを、家族と友達に伝えたいと願いました。生まれてから今までの、区切りでした。とってもとっても、大事な一日でした。 1971年江戸川に産まれ、超のうてんきで、自分で言うのもなんですが、超明るくて、外が大好きで、真っ黒で元気な子でした。 埼玉に引っ越しても、かわりなく男なんだか女なんだかわからない、超元気少女時代を過ごしていました。 さて、ここからちょっとありがちっぽい、自分では大嫌いな時代の話をあえて書きますが、超暗くて、ほんと嫌いな時代がありました。 小学4年生。親が離婚。小学5年生。親が再婚。両方、相談はありませんでした。 ここからです。自分に嘘をついて生きるように決めました。無表情な子供時代の始まりです。何も言われたく無いからこそ、いい子ちゃんを演じました。格好わるいからこそ、グレませんでした。人の様子をつねに伺って、先手をとれるようになどと、顔色や仕種で、わかるような、敏感な感覚がやしなわれました。 でも、大間違い。まず、自分に嘘をついてるから、人の本当の気持ちがまったくわからない、自分の本当の気持ちがまったくわからない子供になっていただけでした。 まじで、最悪な大人子供で、その後それを、後悔しても仕切れない事を、起こしてしまうこととなりました。 17才の夏。突然、義理父がいなくなりました。その時も、心配なクセに、心配じゃ無いよ!と相変わらず、嘘つきな私がいました。 無言電話を、私がとりました。嘘つきな私は、<別に帰ってこなくていいんじゃん!などなど>、親の事でここまでなるか!的な、悲劇のヒロイン的な、最悪な人間となってしまっていました。 次の日。帰らぬ人となりました。人の気持ちが、全く見えなくなっている自分が、とどめをさしました。救えなかった。 それから、4.5年くらい、正直記憶に無いくらい、瞑想期間に入っていたように思います。究極に、自分自身の、記憶や細胞レベルに向き合い、自分が本当に欲しい欲を探してたように思います。とっても、大切で大切で、大事で大事な時間を、与えてもらいました。遅すぎるけど、義理父が体全体で残してくれたメッセージだから。私も、全身全霊で、答えていく事を誓いました。そこから、視点が人とずれていったかもしれません。今日あった命が、次の日にないという、死という物にたずさわり、考え事はするけど、悩んで止まる事が少なくなり、生き急いでるような、フル回転が始まった気がします。今を生きる! 美容師を選んだ理由も、やれば結果が出る仕事だと思ったから。早く、義理父もいた、社会に出て、世の中を見たかったから。自分が見えなくなっていた、人の気持ちを解りたいという、過去を取り戻せるんじゃ無いかと、そんな気持ちでした。色んな人と会いたかった。自分自身に誓った、自分自身に嘘をつかずに接する事で、新たに、人と会いたかった。 急だったので、体に異変はでました。過呼吸、蕁麻疹などなど。でも、私は、どんどん毒が抜けていくようで、それを悩みには思えなかった。友達にも良くいうけど、明るい自律神経失調症、性格の一部だと思っています。 ただ、言葉では言い表せない、どうしても背負ってしまう、ぬけないものがあります。でも、今の今は背負いまくる事を選びたかった。 それを解放するには、こうするしかないかな?っていう形があります。年月を経て、お店をオープンする時に、40代からの目標が自然と湧いて来ました。 おかしいのですが、自分の考え方は、40代からの理想像に向けて、今、やるべき事を埋めていってるかたちです。欲しいもの、やりたいもの、明確なゆるぎない物がいくつかあって、それを、やっていってます。始めるタイミングなど、大切に考えて進んでます。残念ながら、ノリでは生きられてません。悩みも瞑想期間を過ごしたから、悩んでる時間がもったいなく感じてしまい、やはり、生き急いでる感じかもしれません。常に、生と死、究極な選択をしているかもしれません。 でも、そこに、私が理想とする人、進藤君がいてくれました。前向き、明るい気持ち、正直さ、ずるさの全く無い欲、なにより、自分自身に嘘が無い人。だから、人に優しい。 ここまで、めんどくさい人間の話を、よく聞いてくれたと思います。向き合ってくれたと思います。考え方を理解しようとしてくれたと、思います。逃げないで、いてくれたと思います。 そう。結婚式。 こんな考え方を持っている、自分自身へのけじめの日、話しててもいっつも違う視点で、とんちんかんな答えをしてしまっている友達への感謝、お詫び、お礼。親戚なんて、血の繋がった人、繋がって無い人も一気に呼ばれちゃって、戸惑ったかもだけど、すべてが必要な人。そして、自分達の晴れ姿を見せる事が、自分達の感謝の仕方だった。こんな自分達と仲良くしてくれた自慢の友達と、家族として愛してくれた、自慢の親戚達を合せたかった。 お母さんを責めた自分が、お母さんと自分を許し、受けいれる事が出来て、感謝し出発する為の結婚式だった。 なにより、腐った自分を、お父さんが救ってくれて、タビーの事もそうだが、色んな考え方をまともに出来るようになったと、ざんげと、お礼と、感謝と、けじめと出発の日を設けたかった。進める!と希望を皆さんからもらった、大切な一日でした。 結婚は、決して自分達の力だけじゃ無いと思います。 結婚式は、決して自分達の披露の場では無く、究極のおもてなしが出来る場だと思います。皆さんのおかげで、成り立っているのが結婚と、信じてます。 後押ししてくれたタビー、ありがとう。と、本当に出発の日でした。
by mooochan
| 2007-12-13 02:58
| 日記
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